
地球という球体の表面がなぜ地図という平面で表現できるのか考えて資料を調べていくと、洋の東西を問わず早くから地図作りが盛んに行われていたことがわかります。日本では、地図作りと言えば伊能忠敬を思い浮かべる人が多いのではないでしょう。忠敬と言えば、いろいろな測量ツールを考案し、それを使って全国1,200か所近くを測量して回ったと伝えられています。原点となる天体を基準として自分が現在いる位置を知り、そこを基準として三角測量で地図を作っていくというやり方は、昔も今もそんなに違いは無いのではないでしょうか。では何が昔と今とで大きく違っているのでしょう。まず考えられるのが「精度」であったり、人間の踏み込めない山岳地帯などは尚更地図作りも困難を極めたことは容易に推測できそうです。忠敬がすごかったと言われているところは、このような精度に関わるような誤差を少なくするよういろいろな工夫がなされていたと伝えられています。ただ残念と言えるのは位置特定に天文測量で得られた緯度を基準としたところまでには至らず、補正のための情報として使っていた程度ではとされていることかもしれません。ただ、測量ができないようなところは、そのころ海外では当たり前のように行われていた不確定な情報で作図するようなことはせず、空白とするなどあくまで自ら測量したものだけをきちんと表示していったと言われるところなどは、後世に名を残す偉業につながったのではないでしょうか。現代で地図作成をはじめる場合には情報に誤差のない白地図のデータや色地図のデータ等、自身が必要としている地図素材を購入する事が出来ます。販売しているデータの種類も豊富な所が多い為、自身で考えているコンセプトにあった地図を簡単に作成する事が出来るでしょう。
緯度1度の誤差が約500mとされる伊能図

日本の地図作りで忘れてはいけないのが伊能忠敬による「伊能図」ではないではないでしょうか。人類はわりと早い時期から地図を作り始めていたと言われており、日本でもご多分に漏れず伊能図ができる前から「国絵図」という地図は存在していたと伝えられています。ただ違うところは、伊能図が天文測量による緯度を基準点として、誤差を極力小さくするよう工夫がされていたところや測量されたところしか記載しなかったと言われており、こういった点が後世に名を残す偉業につながったのではと推測されます。ここでもう少し伊能図の仕組みについてご紹介したいと思います。もともと地図作成のきっかけとなったのが、緯度1度が実際どれくらいに距離になるかを、そしてそこから導き出される地球の大きさは、という疑問から始まったとされています。実際の作図法も海外に似たようなものが存在していますが、実際それを使ったかどうかは今では知る術もありません。ただ伝えられているところでは、緯度1度の距離はおよそ110.85kmというところまでは掴んでいたようで、現在わかっている地球を球体(正確には赤道付近が膨らんだ楕円体)と仮定したときの約111.32kmとはそれほど違っていなかったことには驚かされます。残念なことに、経緯線をいずれも直線として作図されていたようで、海外ですでに行われていた投影図法の情報を持ち合わせていなかったのではと考えられています。