「東方見聞録」がもたらしたもの

マルコ・ポーロという人物は、父と伯父と一緒にモンゴルを訪れ、そしてその地で長年過ごしました。帰国は海路でしたが、戦争の最中に捕虜として捕まってしまい、投獄されました。

そこで書かれたのが「東方見聞録」でした。東方見聞録は当時のアジアの情報を隈なく伝えています。ですからヨーロッパの人々に大変重宝され、それはポルトガルの船がアジアに達するまで続きました。

アジアについてのたくさんの情報が舞い込むようになると、地図の宗教的な色合いが少しずつ薄まっていきました。そして実用的な地図の需要が高まり、大航海時代が展開するようになったのです。

自分たちが疑うことなく前提としていた宗教を客観的に見ることができるようになると、地理を正確に測ろうとする科学的態度も高まりました。イスラムやアジアはヨーロッパよりも進んでいましたが、それらの科学的精神が、元々ギリシア、ヘレニズムの文化であったことに誇りを持ち、ルネサンスが後押しされました。

そしてこの流れを決定的にしたのは印刷技術でした。いわゆる活版印刷術はグーテンベルクの発明とされていますが、それによって東方見聞録もその他の様々な著作も世に広まり、科学的精神は広範に啓蒙されることになったのです。

大航海時代は沢山のものを発見しましたが、世界各地を征服したことも確かです。それは大前提なのですが、他方、イベリア半島で展開されたレコンキスタの延長にもありましたから、当人たちは侵略行為と考えていませんでした。

海運でリードしたポルトガルは他の国に先駆けて航海に着手し、東から黄金や香料を手に入れようと画策しました。当時は絶対君主の時代でしたから、その地位を確かなものとするため、黄金を手に入れたかったのです。

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